人生

【何かを失った人、失うのが怖い人へ】失うということは得ること

2021年2月2日

  1. HOME >
  2. 人生 >

【何かを失った人、失うのが怖い人へ】失うということは得ること

2021年2月2日

スポンサーリンク

こんにちは、ヨットです。

この記事は以下の人に向けて書きました。

  • 仕事でやる気やモチベーションを失っているという人
  • 目標、全財産、健康などを失ったことで悩んでいる人
  • 「失う・得る」とは何かを本質的な観点から考察したい人
この記事を読むと、失うとは何か?、失うことの意味を考察し、失ったことを前向きに捉えるヒントが得られます。

※この記事と併せて読みたい記事

内部リンク:【時間感覚を制するものは人生を制す】時間感覚を鍛える5つの方法

内部リンク:【緊張とは?→「理想と現実のギャップ」】緊張しない方法 4選

それでは「ヨット講座」始めましょう。

※以下はヨットのプロフィールです。(Twitterフォロワー数は2021/2/2現在です。)

ヨットのプロフィール

「失った」と感じている人は失っていない

「失った」と感じている人は失っていない

まず、この記事を読んで下さっているあなたにお伝えしたいことがあります。

それは「失った」と感じている人は失っていないということです。

「一体、どういうこと?」と感じた人も多いと思いますので、解説していきます。

この章の考え方は人生を生きていく上で非常に大切だと思いますので、目を逸らさずにご一読頂ければ嬉しいです。

「失った」という観念が無くなった時が、真に失った時

あなたは恐らく、何らかで「失った」と感じているので、この記事を読んで下さっているのだと思います。

仕事でのやる気やモチベーション。

もしくは目標、全財産、健康など。

しかし、あなたにそれらを「失った」という観念がある限り、あなたは失ってはいないのです。

私は「真に失った時」とは「失った」という観念が自分の中から消え去った時だと思っています。

これは私が事故で意識不明になった時に学んだことです。

事故が起こり、意識が飛んだ瞬間からは「失った」という観念は消え去ります。

私は三途の川も見えませんでしたし、今までの人生が走馬灯の如く浮かぶこともありませんでした。(笑)

ただただ「無」です。

ハッと目を覚まして、呼吸が自分の力ででき、痛みはあるが体の各部があり、自分の意志で動かせた時に私は思いました。

「真に失った時」は失ったことを感じられない時であると。

もしかしたら、たった今「失った」現実に直面しているあなたからすると綺麗事の詭弁に思えるかもしれません。

一つだけお伝えさせて下さい。

「失った」と感じてこの記事を読んで下さっている方は逆に「得ている」状態なのです。

たった今、「失った」と感じているあなたからすると、意味不明かもしれませんが、ふてくされない場合に限り、5年後、10年後にこの意味は必ず分かるはずです。

「失うこと」の経験から何かを生み出せるのが人間

「失うこと」の経験から何かを生み出せるのが人間

さて、まだまだ逆説的な解説は続きます。

スポンサーリンク

「失うこと」は辛いことです。

愛する人、愛するペット、愛着があったもの、健康。

しかし「失った」という概念があることが人間として生きている証です。

どういうことか解説していきましょう。

「失った」という概念はAIには存在しない

AIやロボットには「失った」という概念は存在しません。

AIやロボットは仕事や目標を奪われたとしてもただただ「無」です。

内部リンク:【AIと人間】人間にしかできないこと

動物、爬虫類、植物などにも「失った」という概念は存在しません。

弱肉強食の世界で仲間を失っても、「失った」という概念はなく、「復讐」という概念もありません。

このように「失った」という概念が存在しないからこそ、人間ほど発展することはありませんでした。

これが人間との最大の違いです。

数々の「失った」経験が人類を発展させた

人類というのは「失った」経験によって発展してきたと言っても過言ではありません。

例えば、日本は戦争で焼け野原になった「失った」経験があったからこそ、単一民族が一致団結・技術大国となり、世界でも有数の豊かな国になりました。

事故で大切な家族を失った経験が車の安全性を進化させました。

地震で大切な家を失った経験が家の耐震性を進化させました。

様々な企業が失ったシェアを取り戻すために新たな技術を開発して様々な進化をもたらしました。

そう考えると、「失った」経験は飛躍のキッカケであり、得るキッカケとすら言えるでしょう。

もちろん、「失った」ことに打ちひしがれているだけでは、何も変わりません。

「失った」経験を受け止め、思考し、行動した人の力で人類が発展してきたことは歴史を見れば明らかなのではないでしょうか?

そんな観点で考えてみると、あなた自身が次にやるべきことが見えてくるはずです。

内部リンク:【行動力がない人は必読】行動力がある人は何が違うのか?

「失った」エネルギーを向ける方向性が大切

ここまでは「失う」ということのポジティブな面を考察してしました。

一方で「失った」エネルギーの向ける方向によっては、地獄のスパイラルに陥る可能性があります。

その例が旧ソ連圏で現在も顕在化している紛争です。

アゼルバイジャンとアルメニアのナゴルノ・カラバフ紛争がその好例でしょう。

失った土地、失った歴史、民族のプライド。

真の意味での終わりが見えない地獄のスパイラルのぶつかり合いです。

ここから学べることがあります。

「失った」ものを取り返そうとすると、ほとんどの場合、何らかの形で負のスパイラルに突入します。

また「失った」事実に憎悪を抱いても同じことです。

「失った」経験を他の誰のために生かせるのか。

そんな考え方が出来る人だけが「得る」ことが出来るのです。

「失うこと」は自然の摂理

「失うこと」は自然の摂理

最後に「失うこと」に対する解釈をもう一つお伝えします。

私は「失うこと」について下記のように考えています。

「失う」ということを毛嫌いする人は非常に多い。しかし、私は「失う」ことを美しいことだと思っている。人間は1秒1秒、水分を発汗して失い、若さを失い、更には古くなる概念を失う。「失う」ということは自然の摂理に則っているのです。「失う」という概念に神秘を感じられるようになると人生は楽しい

人間というのは不思議な生き物です。

失ったことを「意識」出来る内容については、ネガティブに捉えるからです。

しかし、我々人間は日々様々なものを失っています。

水分、若さ、夢、概念、自然環境、、、挙げ始めたらキリがありません。

失うということは自然の摂理なのです。

非常に逆説的ですが、「失える」からこそ、人生は楽しいのです。

地獄とは悪をなし得ない場所です。

そして地獄では何も失うことはできません。

そう考えると、何も失うことがないユートピアは天国なのでしょうか?地獄なのでしょうか?

この答えはあなたが考えてみて下さい。

今回は以上です。

スポンサーリンク

-人生
-,

© 2024 ヨット/思考研究ラボ