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【平等主義の問題点】→平等という過激さ

2020年11月14日

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【平等主義の問題点】→平等という過激さ

2020年11月14日

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こんにちは、ヨットです。

この記事は以下の人に向けて書きました。

  • 「平等とは何か?」について考えたい人
  • 「平等」に対して違和感を持っている人
  • 人は「平等」なのか?について考えたい人
  • 平等」と「公平」の違いについて知りたい人
この記事を読むと、平等とは何か?、平等主義の正体・問題点について考察し、自分が人生を生きる上でのヒントを得られます。

それでは「ヨット講座」始めましょう。(※ヨットはこんな人です。Twitterフォロワー数は2020/11/14現在です。)

はじめに:平等とは?

はじめに平等とは何かについて考えていきましょう。

※はじめに注記しておきますが、本記事は平等について独自の考察をまとめたものであり、平等を否定するものではないことを強く強調しておきます。

平等主義とは?

平等主義とは何でしょうか?

結論から申し上げてしまうと、平等主義は「人間が生み出した概念」です。

平等を簡潔に説明すると「偏り、差別などが無く、みな一様に等しいこと」です。

しかし、この平等という概念が適応されるのはあくまで人間だけです。

当然ながら地球、AI、ロボット、動物、昆虫などには一切、この平等という概念は適応されません。

要は「人間同士のみ」が充実した生活を送れるように考え出された概念と言えるでしょう。

平等と公平の違い

「平等」と混同される言葉の一つに「公平」という言葉があります。

意外に混同しがちな言葉同士なので、おさらいしておきましょう。

平等:「偏り、差別などが無く、みな一様に等しいこと」

例えるならば、大人も子供も同じ人間として、完全に等しい権利を有していると言えます。

公平:「判断/行動に当たり、偏りを均等にし、えこひいきを排除すること。」

例えるならば、入試のテストなどが分かり易いでしょう。同一の問題を同一の時間で行い、点数という定量評価で採点、判断します。

「スタート地点を揃える」とも言えるでしょう。

日本では「不平等」は存在しないが、「不公平」は存在する

ここまでで「平等」と「公平」の違いはお分かり頂けたと思います。

日本というくくりで考えれば、「不平等」は基本的に存在しませんが、「不公平」は存在します。

日本という国では生まれた瞬間から「平等」が担保されます。(平等という概念が消え去っている国家も、世界中を探せば、まだまだあるので、平等が担保されるということ自体が幸せなことです。)

しかし、「公平」は担保されません。

綺麗事を抜きにすると、生まれた瞬間から、「生まれた家柄・両親の収入・遺伝的な知能指数」などの「不公平」が発生します。

スタート地点は同じにならない訳です。

厳しいですが、これが現実です。

「この世は不公平だ」と思った人が考えたいこと

「この世は不公平だ」と主張する人に対しては「その通りです」としか言えません。

何かアドバイスをするとするならば、少し抽象度を上げて考えてみましょうということです。

少し考えれば理解できると思いますが、我々人間の生活というのは「地球全体の不公平」で成立しています。
「この世は不公平だ」と嘆く人がいる。その通りであるし不公平で地球は成立している。人間に食されることを宿命として生まれた牛は沢山いるし、投薬実験に使われるために「生産」されるマウスがいる。地球単位の不公平でこの世は成立している。人間単位で考えるのが我々人類の傲慢さなのかもしれません

「人間」というくくりで考えずに抽象度を上げて考えてみることです。

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何か新しい発見があると思います。

そして、自分が今すべきことを考えるキッカケになるはずです。

平等主義の問題点→平等という過激さ

ここからは平等主義の問題点を考察していきましょう。

「平等主義」の唯一にして最大の問題は「平等という過激さ」だと考えています。

平等:「偏り、差別などが無く、みな一様に等しいこと」ということは前章でご説明しました。

これを逆説的に考えると、平等であるがゆえに、何かを判断する時には公平な指標で判断されることになります。

要は「能力」「学歴」「職歴」などの指標で過激なまでに評価されるということです。

最近、考えているテーマは「平等」である。日本は基本的に「平等」な国家だ。能力や学歴などの指標に対して「平等」がゆえに、過激なほど「格差」が生まれる。「平等」は素晴らしいことだが、「平等の過激さ」が牙を向くという事実もよく考えなくてはならないなと。答えは無いが、面白いテーマである。

このラディカルさが牙を向いた結果が、現代社会に蔓延る「格差」の正体なのではないでしょうか。

平等というのは、尊く、その一方でラディカルさを兼ね備えているのです。

答えがないことを考えるのが人間の使命

「平等」という概念は答えが出ているようで、永遠に答えが出ない「ウロボロスの輪」のようなものです。

外部リンク:Wikipedia ウロボロス

「光」という概念がある限り、「闇」という概念は無くならない。

「闇」という概念がある限り、「光」という概念は無くならない。

常に闇の中にいると「暗い」という概念は消えてなくなる。そこに微かな光が見えた時に初めて「明るい」という概念が生まれる。一旦「明るい」という概念が生まれると「暗い」のが苦しくなり、抜け出したくなる。微かな光が見えない方が、幸せに過ごせるのかもしれません。微かな光の強制が情報社会。

平等の内部構造は光と闇のような構造だと考えてみると面白いかもしれません。

この記事を読んでいるあなたは勉強熱心で優秀な方でしょう。

そんなあなたにこの言葉を送って締め括りたいと思います。

「生きる」とは、終わりなき思考をすることだと考えています。「答え」が無いことを一生考え続けるという行為が人生そのものではないかなと。 思考を辞めた瞬間に、人は「究極に自由」な状態になり、一方で「人間ではなくなる」のではないでしょうか。 そう考えると様々なことを深く考えさせられます。

今回は以上です。

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